n=1を受け入れる

 

今日は5月11日3限に行われた渡邉康太郎さんの授業のお話をしたいと思います。

 

 

渡邉康太郎さんとは

 まず渡邉康太郎さんについて紹介させていただきます。

 

渡邉康太郎さんはSFCを卒業後、Takramという会社で働いていらっしゃいます。

 

Takramとは、日本を拠点に様々なプロジェクトに取り組む、デザイン・イノベーション・ファームです。

デザイン・イノベーション・ファームと言われても具体的にどのようなことをしている会社なのか、想像がつきにくいと思います。私も授業で教えていただいた時、頭の上にはてなが浮かびました。

 

デザイン・イノベーション・ファームとは?

企業やスタートアップ、組織からの相談ごとに対し、想像と変革を取り組む会社です。

つまりTakramとは、相談者とともにその組織の未来についてデザインを行う会社ということです。

 

その中で渡邉さんはcontext designerとして働いていらっしゃいます。

context designer???

context =文脈??

ということは渡邉さんは「企業側の文脈」を「正しく伝える」ことを目標してデザインしている人??

 

しかし、実際は逆です。

 

ここでのcontextとは「共に」「編む」という意味。

渡邉さんは作り手による「強い文脈」と使い手による「弱い文脈」がつり合っている状態を目標にしています。

 

渡邉さんが執筆された『CONTEXT DESIGN』では実際に以下のように書かれています。

コンテクストデザインとは一人ひとりからそれぞれの「ものがたり」が生まれるような「ものづくり」の取り組みや現象を指す。読み手を書き手に、消費者を創作者に変えることを企図する。

 

「弱い意志」×「偶然」=未来

 

では次に渡邉さんの学生時代についてお話しします。

渡邉さんはSFCにて学生時代を過ごしました。渡邉さんは高校からSFCだったので合計7年間SFCに通っていたことになります。

 

SFCにて過ごした7年間によって渡邉さんは自分自身が「弱い意志」×「偶然」で物事を決定する人であることが分かったそうです。

ここで言う「弱い意志」とはなんとなく考え続ける、はっきりしていないもの。

「偶然」とは自分の意思と行動の外からやってくるものです。

 

ここで「偶然」について注目してみます。

偶然とは「運」ではありません。

偶然は自ら名乗ってやってくるものではないし、それが答えやヒントになるかわかりません。

関心の「外」に関心を持ち、どんな出来事も「偶然」になるかも、という態度を持って行動してみるといいかもしれません。

どんなきっかけも後からしか繋がりは分からないものです。 

 

では「弱い意志」×「偶然」の反対とは何でしょう。

それは「強い意思」×「必然」です。

「強い意思」とはとことん追求すること、「必然」とは自分の意思と行動が必ず未来に結びつくことです。

 

読者の皆さんも今までの経験から自分がどちらのパターンかぜひ考えてみてください。

これからの未来、やりたいことがない、なりたい将来像がない、など自分は弱い意思に属しているのではないか、と感じる人も多いのではないでしょうか。

しかし、だからこそ強く考え続けることが大切なのではないか、と考えます。

どのような出来事も考えぬき、自分自身の回路を外に広げていくことによってどのような出来事も「偶然」足らしめることができるのではないでしょうか。

 

 

n=1を受け入れること

では最後に渡邉さんがcontext designerとして大切にされていることをお話しします。

 

今の世の中はデザイナー、つまり作り手がものを作り、使い手はその意図通り消費をしています。

しかし、人間は消費する人なのではなく、作り出す人であると渡邉さんはおっしゃっています。

あらゆる人が少しずつ創作、表現できる世界が真の人間らしい世界ではないでしょうか。

鑑賞(経験)する→解釈する(考える)→創作(表現)する

この1つ1つの段階にそれぞれ個人の経験などが合わさることでその人の個性が生まれ、多様性のある社会となるのではないでしょうか。

 

渡邉さんはcontext designerとしてあえて未完成のものをデザインし、使い手の個性を加えることで使用してもらい、新しい価値を作り出すことを目的としています。

デザイナーの想像の先へ、ものがたりを波及させることを目標にしています。

 

 

しかし今の世の中は数が多いものが正しいことが多いです。

 

実際にどのようなものも高評価なもの、つまり多数派が正しいのであろう、優れているのであろうと考えられがちです。

でも実際にそれが自分に合っているかって誰も教えてくれません。

 

弱い文脈を弱い文脈として問い続けること、誰でもできることではなく、自分がやりたい事、自分を足らしめているもの、が大切なのではないでしょうか。

n=1を恐れない、n=1であることに価値を見いだすことが大切なのではないか、と感じました。